笑顔が素敵な彼
仕事の後、女は無性に泣きたくなる。
そんなことを考えながらいつもの坂を登っていた。
私の働いているオフィスから最寄りの駅に向うには、ラブホテルが立ち並ぶこの急な斜面を登らなければならない。
私はため息をついた。
「疲れた…」
意図せずともその言葉が口から漏れる。
それを見透かしたかのように入る
あなたからのメール。
「今から会える?」
私は、帰り道とは真逆の電車に乗り、あなたの家に向かった。
幸いなことにあなたの家の方が私のオフィスにも近い。それ故に平日でも泊まることは少なくないのだ。化粧落としやコンタクトもあなたの家にあるし。今日はそのままあなたの家に泊めてもらうことにした。
私たちは、あなたの家の近くにある安い中華で夕食を済まし、それが当然のことのようにお互いを求めた。
私とあなたがこういう関係になったのは、
確か2年前… もう2年になるのか。
あなたが恵比寿で飲んでる私に、
声をかけてきてからだ。
今まで、知らない男と寝ることはあっても大抵は1度きりだった。だって面倒くさいんだもの。でも、あなたは違った。
あなたは男の人の割に、優しい話し方で、良い匂いがして、笑顔が可愛い素敵な男性だった。
どんなに落ち込んだ日でもあなたの腕に抱かれたら私は次の日から頑張れると思えた。
「ちょっとタバコ吸ってくるわ」
あなたはそう言って、タバコが苦手な私を気遣いベランダに出る。
タバコは苦手だが
タバコを吸うあなたの後ろ姿は
無性に、好きだった。
かっこいいなあ。
あなたが、好きだった。
夜の闇とタバコの煙と、
遠くを見ているあなた。
この瞬間、私とあなたは世界に二人きりだった。
私は服を着ることも忘れ、
布団に包まれて、あなたを見ていた。
「よし、もう1回やるか」
帰ってきたあなたは
悪戯っぽく笑って私に言う。
「えーっ。もう寝なきゃ」
私は困惑の表情を作りながら、本当は何回抱かれてもいいと思っていた。女は体裁を作る立場を崩せないから面倒くさいものだ。
結局、その日は何回抱かれたか覚えていない。
朝になる。
私はシャワーを浴び、髪を乾かす。
ドライやーの轟音が響く部屋の中
準備をほとんど終えた様子で彼がこちらを見ている。
何か言っているのだろうか。
彼は、笑顔を見せた。
私も、笑顔を返した。
私は今年で25歳。
そろそろこの人とちゃんと…。
もうほとんど付き合っているような状況と変わらないため、今年中に結婚もあるかもしれないな。そんなことを考えると今度はニヤニヤした。
子供はきっとあなたに似て、
目が大きく、鼻が高く、歯並びがいいのだろうか。
耳は…
私に似たらいいとあなたは言うのだろうか。
あなたは初めて家に来たときに、
私の耳を褒めてくれた。
「とても綺麗な耳だね!」と。
私は耳の形が自分でも好きで
ピアスやイヤリングはつけたことが無い。
可笑しな話だが、
私の体の中でなんとなく神聖な場所だった。
そのことを彼に話すと、
「なにそれ!すごくいいね!そういう子素敵だな!」彼はそう言ってニコッと笑ってくれた。
最近は耳を褒めてくれることもなくなってきたけど、あなたはまだその話を覚えているだろうか。
でも、どちらでもよかった。
たとえ覚えていなかったとしてもその話は私だけの宝物にできるのだから。
そんなことを考えていたら、
彼が乾かし終えた私の頭を、彼が撫でてきた。
そして、ニコッと笑った。
「遅刻するよ」
彼は言った。
彼はモテるだろう。しかし浮気とは縁遠い人。
男を信じられなくなりかけていた私の王子様のような人だった。
私は支度を済ませ彼の手を握った。
ドアを開けるとき、彼は言った。
「ピアス、忘れてない?大丈夫?」
時が止まる。
あなたは何を言っているの。
「ほら。ああいうのってよく忘れるじゃん。面倒くさいんだよね。君もよく最初のほう忘れてなかったっけ。」
あなたは、また、
ニコッと笑った。
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